『田園の詩』 NO.1 「京の三年 田舎の三日」  (1993.2.9)


 日本全国のあらゆる機能が首都圏に一極集中しているように、地方の町でも、役場
のある中心部に人は集まります。そこから10`以上も離れた所に私の寺があります。

     
    左上は町内で一番高い山「雲ヶ岳」(654m)です。右端中央のハウスの左端の真上の白く見
     える所が我が家(楽々堂・願教寺)です。   (2008.2.1 写)


 ここは、山香町山浦、地名に山が二つも出てくることからも推してはかれるように、
山奥の小さな寺に、私たち家族は三年まえに京都からUターンしました。ながらく離れ
ていたとはいえ、生まれ育った私にとって、田舎暮らしは特にたいしたことはなかったの
ですが、都育ちのわが女房がカルチャーショックに陥ったことはいうまでもありません。

 そんなおり、「田舎の三年、京の三日」という言葉を見つけた私は、彼女に教えてあげ
ました。女房は、わが意を得たりと手を打って喜びました。悪い(?)ことは重なるもの
で、「田舎の勉強、京の昼寝」という言葉も私どもの耳に入ってきました。

 田舎と都会(京都)の文化水準にはかくも開きがあることを示した二つの言葉に出合
い、「私がこんなに落ち込むのも自然の道理」とのたまう女房に、あたりを見回しても
野辺の石仏くらいしか目に付かない私は、返す言葉もありませんでした。

 しかし、女房の心が変わるのに、そんなに長い時間は要りませんでした。「お父さん。
京の三年、田舎の三日、ともいえるね。」と言い出したのです。都会では三年生活し
ても分からないことが、田舎の自然の中で三日も暮らせば、分かることが沢山ある
ことに気がついたようです。

 今、季節は冬。「山眠る」の季語どおり、山は静かに眠っています。春になり木々が
芽吹きだすと、山が笑ってきます。見渡すとひと目でそれが分かるのです。

 都会と比べて、文化財や芸術作品にふれる機会はあまりありませんが、自然の営
みは私たちに多くのことを教えてくれます。

 自然から教わったこと、訪れて来た人々との出合いなど、田舎暮らしの様々を、
書き続けたいと思います。                   (住職・筆工)

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